出会いから九年、今年もエミールが来日。期間中は毎年恒例
yogajayaでの早朝プラナヤマ&瞑想、夜のレクチャーともにフル参加。わたしの中では、毎年この期間を勝手に「東京リトリート」と呼んでいます。いつもの東京が時間も景色も変わって映るの。
今年もアヌークも一緒に来日。今年は初めて彼女の
ワークショップも開催され、もちろん参加。彼女の美しさは内側から溢れているんだなあとしみじみ感じる温かくてていねいなクラスでした。
その後はこちらも恒例アヌークとガールズデイト♪
ファーマーズマーケットで焼き栗発見。これホクホクでほんと美味しかった。
みかん買ったり。
大好物の梅干見つけて大喜び。(梅干を売っていたおじさまは昔カリフォルニアに住んでいたことがあるとのことで英語がとってもご堪能)
たまな食堂でChef's Special。この笑顔〜もう女神!
「友子のレッスンも受けたい」って忙しいスケジュールの中、時間を割いて私のレッスンも受けてくれたアヌーク。言葉も文化も育ってきた環境が違っても通じ合うものがある。大切な恩師エミールが選んだ女性。私にとっても大切な友人。この人生の旅路で出会えてほんとうによかった。それぞれの場所へ戻ってもこの出会いがたくさんの気づきと励ましをもたらしてくれる。ありがとう。
今年はエミールが初めて日本を訪れてから10周年のanniversary!それはそれはお互い歳をとるわけだ(笑)
夜のレクチャーは
《神話をとおしてヨガを理解する》だったのだけど、マハーバーラタやラーマヤーナ、インド神話に酔いしれるなんとも神秘的な夜でした。その夜最後に話してくれた物語。心にのこったのでうまく書けるかわからないけど書いてみます。
『Rama's Ring』の物語。ある日、ラーマ王は自らの死期が近いことを知ります。ラーマ王は死の神であるヤマに、自分は死の準備ができていることを伝えようとヤマを城に呼びますが、城の門番であったハヌマーンはラーマ王をとても愛していたので、ラーマの死を受け入れられず、ヤマが城に入るのを阻んでしまいます。それを知ったラーマ王はわざと指輪を落とし、その指輪が悪魔の土地へと転がっていってしまいます。ラーマ王はハヌマーンに指輪を探しに行くよう命じ、ハヌマーンは悪魔の土地へ指輪を探しに行きました。悪魔の土地の王であるヴァスキの案内で、何千もの指輪が山のように積まれた場所へとたどり着きます。見つかるわけがないと途方にくれながら、ハヌマーンがそのうちの一つの指輪を手に取ると、それはまさしくラーマ王の指輪でした。ハヌマーンはびっくりし、二つ目の指輪を手に取るとそれもまたラーマ王の指輪でした。そこに積まれた何千もの山のような指輪すべてがラーマ王の指輪でした。ハヌマーンは、これは一体どういう意味かと不思議に思いました。そこで、ヴァスキがこう言いました「私たちの生きているこの世は、生と死の循環を繰り返している。いつも指輪がここに落ちてきて、いつも猿がその後を追いかけてくる。そして、私はその時にはいつもラーマ王が死ぬ時期がやってきたとわかる。その指輪が落ちてきたことを私は覚えている。そして、今後も指輪が落ちてきて私はそのことを覚えているだろう。存在という車輪が回転し続ける限り、古い世界はやがて死に、新しい世界が生まれでてくる。どの世界にもハヌマーンがいて、ラーマ王がいて、ラーマ王の指輪がある。」と、これが『Rama's Ring』のお話。
そして、エミールが言いました「ひとつの世界観だけではなくて、何千ものラーマがいて、何千ものハヌマーンがいて、何千もの指輪があって、やってきては消えていくというのが世界だという教えがここにある。そしてハヌマーンは腑に落ちて、ラーマ王の死を受け入れることができた。この世というのは一つだけでなくて、無数のものの集合であるということがわかります。ひとつのyogajayaだけでなくたくさん。いまの時刻は21時5分過ぎですが、世の中にはたくさんの21時5分過ぎがあります。世の中にはたくさんの、無数の物語があります。」と。
私は胸がぐっと熱くなりました。いまこの瞬間がほんとうに尊いと思うと同時に、そこに執着しないいさぎよさも大切だなと。
大切な人の老い、死、自分自身のことも、受け入れたくないことはこれから先もきっとたくさんあるだろうな…。そして、そのたびに私はこの物語を思い出すだろう。
いつもそっと気づきをもたらしてくれる、行く道に光を灯してくれる、素晴らしい師に巡り会えたことに心から感謝しています。
エミール、アヌークありがとう。またね!